東京高等裁判所 昭和40年(行ケ)19号 判決
(争いのない事実)
一 被告の特許権とこれに対する無効審判手続の特許庁における手続経過に関する原告請求原因等一記載の事実、原告が右審決手続において主張した無効理由のうち文献公知を理由とした点に関する原告の主張およびこれを排斥した審決の内容に関する原告請求原因等二の(一)および(二)に記載された事実は当事者間に争いがない。
(文献公知の主張について)
二 そしてその成立に争いのない甲第七号証の記載によれば、原告が無効理由の一として挙げた刊行物である「トランザクシヨンズ・オブ・アメリカン・インステイチユート・オブ・ケミカル・エンジニヤーズ」誌第四十一巻はすでに原告請求原因等二の(三)に記載された時点において国内に頒布されていた事実を認めることができ、これに反する資料も見当らない以上、この点に関する本件審決の判断は誤つていることは明らかである。
(技術内容の対比について)
三 のみならず、右刊行物に記載された技術内容と本件特許発明とを対比してみると、原告請求原因等二の(五)記載の通りの共通点および争点となりうるところが明らかである(この点については当事者間に争いがない。)から、果して、本件特許発明が無効とされるべきかどうかは、技術上の観点からもさらに詳しく検討されなければならない。
しかるに、本件審決は、右刊行物が本件特許の出願前に国内に頒布された事実が認められないとの前提に立つて、右刊行物による本件発明の新規性阻却事由の存在を認めなかつただけでなく、右刊行物記載の技術内容と比較して本件特許発明の進歩性を論ずることも当を得たものではないとの判断を示してはいるが、右判断は両者の技術内容についての異同等について、何ら実質的な判断を行つたものということはできない。
そして、右の技術内容の異同等については、技術専門庁である特許庁の手続においてさらに審理するのが相当であるから、本件審決は審理不尽の違法があり、結局判断すべき点についての判断をしなかつた違法があるから、その他の争点についての判断をするまでもなく、取消を免れない。
被告は、この点について本件訴訟において、本件特許発明の新規性進歩性が審理されるべきである旨主張するけれども、本件審決において示された判断が前記のようなものにすぎない以上、この点において審理を尽していない違法があるというほかなく、被告の主張はこれを採用できない。
四 よつて、原告の請求は理由があるので、これを認容する。
原告請求原因等
(被告の特許権と特許庁における無効審判手続の経過)
一 被告は、特許第二三〇、三九二号「エチルベンゼンおよびキユーメンを同時に合成する方法」の特許権者であるが、右特許は昭和二十九年十一月二日出願、昭和三十一年十一月三十日公告、昭和三十二年三月二十八日登録されたものである。
原告は、被告を被請求人として昭和三十七年三月二十七日、特許庁に対し、右特許の無効審判を請求したところ(同年審判第三二二号)、特許庁は昭和三十九年十一月六日、右審判の請求は成立たない旨の審決をし、その謄本は同年十二月五日原告に送達され、なお、審決に対する出訴期間として三か月が付加された。
(無効理由の一ー文献公知)
二 原告は、無効審判手続において、無効理由の一として、すでに本件特許出願前国内に頒布された刊行物である「トランザクシヨンズ・オブ・アメリカン・インステイチユート・オブ・ケミカル・エンジニヤーズ」法第四十一巻を挙げて、本件特許発明と実質的に同一の技術内容が記載されている旨主張したが、この主張を認めなかつた審決は、事実誤認の違法があり、取消されるべきである。
以下これを詳述すると、
(一)原告は審判手続において、この無効理由を次の通り主張した。
すなわち、「実質上ほとんどブチレンまたはそれ以上の高級オレフインを含有しないエチレンとプロピレンとを一量対〇・二から一量の割合で含む混合ガスを使用してベンゼンをアルキル化し、エチルベンゼンとイソプロピルベンゼン(キユーメン)とを同時に合成する方法すなわち本件特許発明の方法と実質的に同じ方法も「トランザクシヨンズ・オブ・アメリカン・インステイチユート・オブ・ケミカル・エンジニヤーズ」誌第四十一巻(審判における甲第十一号証ー本訴訟においては、右のうち第四十一巻第四号のうちの第四百六十三頁および第四百七十二頁から第四百七十六頁までを甲第四号証の一の一から四として提出した。)中に記載されていて本件特許の出願前にすでに公知である。
(二)この無効事由の主張に対し、審決は、前記刊行物は本件特許出願前に国内に頒布されたものであることを認めることができず、本件特許発明の新規性を阻却するものではないことは明らかであり、かつ右刊行物記載の技術内容と比較して本件特許発明の進歩性を論ずることも当を得たものではないとの判断を示した。
(三)しかしながら、右刊行物はすでに昭和二十九年五月二十五日に、東北大学蔵書として同大学工学部応用化学科図書室に受入れられて一般に閲覧しうる状態にあつたのであるから、本件特許出願日以前に日本国内において頒布されていた刊行物なのである。
(四)以上のように、本件審決は、右刊行物の日本国内における頒布の時点についての事実認定を誤つている以上、この点においてすでに違法であり、しかも、その結果、公知事実と本願発明との間に進歩性があるかどうかの点については全く判断を示さなかつたことに帰し、本件訴訟においては、右刊行物の内容に立入つて審理を行うまでもなく、本件審決は取消されるべきである。
(五)しかも、右刊行物に記載された技術内容を本件特許発明の技術内容と対比すると、両者は、
(1)同一の技術分野に属すること
(2)その技術的課題と目的はほぼ同一方向を指向していること
(3)オレフイン系Cスモール4およびそれ以上の溜分が原料物質中に存在するかどうかが両者の対比のうえで主たる争点となりうるものであること
ということができる。
(六)以上のように、右刊行物に記載された技術内容は、一見して、本件特許発明とほとんど同じ技術であることが分るのである。
念のため、この点をさらに明らかにするならば次の通りである。
本件特許発明の要旨は、その特許請求の範囲の記載によれば、『ブチレン又はそれ以上の高級オレフインを含有しないエチレン一容量に対しプロピレン〇・二ないし一容量の割合に含有する混合ガスを使用してベンゼンをアルキル化することを特徴とするエチルベンゼンおよびキユーメンを同時に合成する方法』であり、右記載に即しつつその発明の構成を列記すれば次の通りである。
(ア)エチルベンゼンとキユーメンを同時に合成する方法であること
(イ)右合成は,エチレンとプロピレンとを含有する混合ガスを用いてのベンゼンのアルキル化によるものであること
(ウ)右混合ガス中におけるエチレンとプロピレンとの容量比は一対〇・二ないし一であること
(エ)右混合ガスはブチレンまたはそれ以上の高級オレフインを含有していないこと
これに対し、前記刊行物記載論文の冒頭の摘要欄の末尾に、「エチレンとプロピレンを含有する分解製油ガスによるベンゼンのアルキル化は両オレフインを同時に変換する条件下およびプロピレンのみを選択的に変換する条件下で行われた(四百六十三頁十四行目以下)として、まさに前記(イ)と同一の事実が記載され、右実験の結果が四百七十三頁以下に、「エチレンープロピレン含有ガスの場合」という表記のもとに記載されている。
右実験結果の記載によれば、使用された混合ガスは一〇・三モルパーセントのエチレンと六・四モルパーセントのプロピレンとを含有していたこと、すなわち、混合ガス中におけるエチレンとプロピレンとの容量比は約一対〇・六であつたことが明らかであり(四百七十三頁以下および四百七十四頁第五表中の製油ガスの構成欄)、右容量比はまさに前記(ウ)の範囲内である。
さらに、右混合ガスを用いてベンゼンをアルキル化したところ、エチルベンゼンとイソプロピルベンゼン(キユーメン)の双方が得られたこと、すなわち、まさに前記(ア)の合成が行われたことが記載されている(四百七十五頁末尾から七行目ないし四百七十六頁末尾から十行目および四百七十五頁第七表中収率欄)。
以上の通り、前記刊行物記載の論文には、本件特許発明の特徴である前記(ア)から(エ)のうち、(ア)から(ウ)の三点に対応する事実が明確に開示されており、また(エ)についても、とくにこれに反する記述は存在しない。すなわち、四百七十四頁の第五表中使用された製油ガスの組成欄の記載によれば右ガス中には炭素数五以上の溜分は存在せず、炭素数四の溜分がわずかに〇・五モルパーセント存在していたことが示されている。右Cスモール4溜分がオレフインであるかパラフインであるかは明らかにされていないが、技術常識からしてもパラフイン系溜分であると考えられ、仮りに右溜分中にきわめて微量のオレフインが存在しているとしても、本件特許発明との対比の観点からは無視しうる程度のものと考えられる。
いずれにせよ、右刊行物は本件特許発明の要旨をほとんど完全に開示しているものであり、仮りに些細な形式上の差異が存在するとしても、その差異の意義について議論の余地が存在し、右開示された技術に比して本件特許発明が新規性ないしは進歩性を有するかどうかは、きわめて微妙な技術的検討を必要とするものであり、これらの点は専門家である審判官には容易に看取しえたはずであり、少くとも右刊行物が本件特許発明とその内容と対比して論ずるに価する文献であることは明白である。
(無効理由の二ー実施不能)
三 原告は、また、無効審判手続において、他の無効事由として、本件特許が実施不能の部分を含む未完成な発明である旨主張したが、この点について判断を示さなかつた審決には、判断遺脱の違法があり取消されるべきである。
すなわち、これを詳述すると、
(一)原告は、審判手続において、この無効理由について次の通り主張した。
「さらに、他の無効の原因としては本件特許の特許請求の範囲は不当に広範にすぎることがあげられる。本件特許は、「いかなるアルキレーシヨン触媒も用いられる。」と主張しているが、これは明らかに誤りであつてすべてのアルキレーシヨン触媒ではなく、単に限定された触媒のみがプロピレンーエチレン混合物とベンゼンからエチルベンゼンおよびキユーメンを同時に生成させることができるにすぎない。このことは本件被請求人(本訴訟の被告)の権利にかかる特許第二三五、九五二号によつて明らかにされている。
特許第二三五、九五二号によれば、+Cスモール4を除去したエチレンープロピレン混合物であるところの石油分解ガスをベンゼンと八十三ないし八十五パーセントの、触媒としての硫酸の存在で反応させるとエチルベンゼンは生じないでキユーメンのみが生じることを示している。すなわち、被請求人は本件特許が広範にわたりすぎていることは自己の別の特許によつて十分知つているはずである。特許権者は本件特許でまだ知られていない、あるいは、すでに公知であつた触媒についてまで保護範囲を拡げようとしているものである。」
(二)右特許第二三五、九五二号(昭和三十二年公告第五、一六二号)は、「混合炭化水素ガスよりキユーメンを合成する方法」に関する特許であるが、右特許の明細書によれば、石油分解ガスからブタン、ブチレン以上の高沸点溜分を除去したものとベンゼンとを硫酸触媒を用いて反応させた場合には、キユーメンのみが生成してガス中のエチレンはほとんど反応しない旨が明記されている。本件特許が右特許とほとんど同じ原料物質を用いてキユーメンとエチルベンゼンを同時に合成する方法に関するものである以上、前記のようにキユーメンのみを生成してエチレンを反応させないような触媒を用いては実施しえないはずである。
しかるに、本件特許の請求の範囲においては、使用しうべき触媒について何ら限定を加えることなく、しかも、その詳細な説明の欄には「アルキル化に際しては、アルキル化に際して使用する触媒はすべて使用しえられる」とまで明言している。これらの事実は明らかに本件特許が実施不能の部分を含む未完成な発明であることを示すものである。
しかるに、本件審決は、前記のような請求人である原告の主張については全く判断を示さなかつたのである。
被告の答弁等
一 原告請求原因一の事実は認める。同二のうち(一)、(二)および(五)記載の事実は認めるが、その余は争う。同三のうち(一)記載の事実は認めるが、その余は争う。
(文献公知に関する主張について)
二 かりに、原告請求原因二において主張された刊行物が本件特許出願前に国内において頒布されたものであるとしても、これによつて直ちに審決を取消すべきではなく、右刊行物の記載によつて、本件特許発明がその新規性進歩性においていかなる影響を受けるかという実質的内容まで審理されるべきである。
そこで両者の技術内容の異同について述べると、本件特許発明は、ブチレンまたはそれ以上の高級オレフインを含有していないエチレン一容量に対しプロピレン〇・二から一容量の割合に含有する混合ガスを使用することを要件としている。しかるに、前記刊行物記載のものはいずれも前記高級オレフインを含有しているのみならず、エチレンとプロピレンの含有量の割合も不明なものがある。 原告は前記刊行物記載のエチレンとプロピレンを含有する分解製油ガスによるベンゼンのアルキル化の実験に使用された混合ガスは同記載第五表のものと述べているが、同表には原告主張の記載は存在していない。従つて、前記実験に使用された混合ガスの構成は不明であるといわなければならない。
さらに、前記実験に使用された混合ガスはブチレンおよびそれ以上の高級オレフインを除去したものである旨の記載も前記刊行物には全く存在しない。のみならず、同刊行物(四百六十五頁)には実験に使用された装置が記載されているが、この装置にはCスモール4以上の高級オレフインを除去する過程がない。
次に、前記実験に同刊行物記載第五表の混合ガスを使用したものとしても、右第五表の分析はきわめて粗雑であつて信頼し難く、かなりの量のブチレンおよびそれ以上の高級オレフインを含有しているものと考えられる。
また、原告は右第五表中のCスモール4は技術的常識からみてパラフイン系溜分であるというが、このような技術常識は存しない。
よつて、原告の主張は失当である。
(実施不能とする主張について)
三 原告は審判手続において実施不能を含む未完成の発明であるとの無効理由を主張した旨主張するが、審判手続における主張は、原告請求原因三の(一)記載の通りであつて「特許請求範囲が不当に広範にすぎる」というような無効原因は存在しないのであるから、このような主張は、仮りに主張の形式はとつていても実質的に主張が存在しないのと同じである。主張が存在しない以上、それについて何ら判断をしなくても違法ではない。
仮りに、原告の審判手続における主張が何らかの意味を持つものであるとすれば、それは本件特許発明の新規性進歩性を否定するものと解するほかはない。とすれば、この点について本件審決はすでに判断をしている。
よつて、原告の主張はいずれも失当である。